小説

遠景の乙女たち

きゃーっ! という、若い乙女がよくあげる、楽しそうな叫び声が聞こえてきました。口元に、ココアの入ったマグカップを持っていきかけていた手を止め、わたしが窓の外に目をやったのは、もちろんその「叫び」が要因といえば要因に違いありません。けれどもじつは、心のもっと深いところで、その「声」のほうに感応していた、というのがほんとうのところなのです。彼女の「声」は、一昨年亡くなった、昔なじみの友人の喜美ちゃんの、女学生時代の「声」にそっくりだったからです。

わたしは眼を細め、部屋の窓から戸外を覗き込みます。冬空よりもよほど水色をしたセーターを――近頃のひとはニットというのでしょうか――着た乙女が、あんず色の手袋を嵌めた手に白いものを持ち、三メートルほど離れたところにいる、樫の樹のような色合わせの服の乙女に、それを投げつけようとしてます。樫の樹ガールは、顔、ではなく、なぜか耳を両手でおさえると、胸元でその白いものを受け止めました。白いものがはじけ、あたりに散らばり、一面の白いもののなかに埋もれます。なるほど、雪が積もっていたようでした。道理で冷え込むわけです。

今度こそココアに口をつけながら、わたしはそっと、左手でお腹を押さえました。胃にスキルス性のがんができていることが判明してから、今日でおよそ半年が経ちます。手術に持ちこたえられるほど、わたしは若くはありません。あとどのくらいわたしの生命は保つのか――そんなことを考えながら、失せつつある食欲のなかで少しでもカロリーを、と考え、近頃朝は、砂糖をたっぷり入れたココアを飲むようにしています。もともと甘いものは好きですから、さほど苦にはなりません。

もしかすると喜美ちゃんが迎えにきたのかもしれない。そんなふうにふと思ったのは、あらかたココアを飲み終えてからでした。十五年前に先立った夫ではなく、なぜ喜美ちゃんが? そりゃあ確かにわたしと喜美ちゃんは、無二の親友でした。水魚の交わり、といっても決して過言ではありません。戦時中はおそろいの布で防災頭巾をつくり、わたしが田舎へ疎開することになった際には、抱き合って涙を流しましたっけ。そうして、敗戦を迎え、それから、お互いに伴侶をもち、めまぐるしく変わっていく日本の様子を横目に少しずつ齢をとっていきながら、わたしたちは年に一度は顔を合わせて近況を報告しあうという、そういう仲でした。

喜美ちゃんは、旦那さんと折り合いがあまりよくないようでした。近況報告の半分以上は、夫がうるさい、夫があれをしてくれない、そういう愚痴に終始し、正直に言うのなら、それに辟易することさえありました。でも、人は変わるものです。その変化を受け止めてこそ友情というものではありませんか。それに、ひとしきり夫の悪口を並べ立てた喜美ちゃんは、さっぱりした顔で言ってくれたものです。フサちゃんはぜんぜん変わらないね、と。それを聞いたわたしはうれしかったか? ん? とわたしは思います。「うれしかった。」ではなく、「うれしかったか?」とは。いったいなぜそんなふうに思うのでしょうか。

きゃーっという叫び声がまた聞こえます。今度は喜美ちゃんとよく似た声――ではありません。おそらく樫の樹ガールが今度は叫び声をあげたのでしょう。交互にあがる叫び声。そういえば――と、わたしは思います。年に一度の集まり、わたしのほうから声をかけたことはなかったな、と。いっつも喜美ちゃんが、逢いたいな、というわたしの気持ちを見透かしたようなタイミングで声をかけてくれ、そうして旦那さんの愚痴に長広舌をふるう、というのがつねでした。いえ、ここ最近のことだけではない、よくよく考えればいつもそうでした。わたしのほうから喜美ちゃんに対して行動を起こしたことは、なかった。わたしはなにも言わなかった。防災頭巾の布でさえ、決めたのは喜美ちゃんでした。いま、はっきりと思い出しました。わたしはもう少し暗い色のほうがよかったのに、喜美ちゃんが、派手、とは言わないまでもちょっと明るめの色の布を選んで、ふたりして先生に怒鳴りつけられたのですから。しくり、と胃が痛みます。わたしは喜美ちゃんのなんだったのでしょう? それを言うのなら、喜美ちゃんはわたしのなんだったのでしょう? さっき「水魚の交わり」と思ったばかりなのに、ふいにそんな疑念がわたしをとらえ、鶏の脚のようにわたしの心をぎゅっとつかんだのです。

何か、祈るような、すがるような気持ちがこみあげるままに、わたしはふたたび窓の外を見――そうしてぷっと噴き出しました。

乙女たちは、雪の上で大の字になっていました。この寒い折ですから、いまどきの乙女たちは当然ずぼん姿です。とはいえ、なんて無防備、なんたる無茶!

そのときになってようやく、わたしは思い出したのでした。疎開先から帰ってきた、あの日のことを。東京へ向かう列車のなかで、久しぶりに喜美ちゃんに会えるよろこびで、わたしは胸を弾ませていました。けれども列車から降りたわたしをプラットフォームで待ち受けていたのは、ぎゅっと拳を握りしめ、いまにも泣きそうにしている喜美ちゃんの姿でした。わたしを認めると、喜美ちゃんは駆け寄って来、わたしが疎開に行く時よりも盛大に泣きじゃくりながら、わたしを抱きしめたのでした。

――ふ、フサちゃんが死んでたら、あたしも死ぬって思ってた。

肩に落ちる涙のあたたかさを感じながら、わたしは思います。ああ、やっぱりわたしたちは、友達だった。おそらく、いま雪の冷たさを全身で感じているだろうふたりの乙女たちとおなじくらいには、しっかりと。口に出せなかったこと、口に出しすぎてしまったこと、そういうのを全部ひっくるめて――あれがあのときのわたしたちの最善で最高だったのだ、と。

天国に行ったら、喜美ちゃんに伝えなきゃ。わたし、あなたが旦那さんの悪口を言うのが少し苦手だったの、と。でも、喜美ちゃんがいてくれたから、わたしの人生は楽しかったよ、と。

もう一杯ココアを出そうとわたしは袋を開け、もう残りが少ないことに気づきます。さいわいお天気も回復しているようですし、午後になったらまたココアを買いに行こう。新しいココアを買うのだから――せめてそれを半分は飲み干すまで、わたしは生きなくちゃ。