小説

ゴディヴァ・ダズント・ミーン・チョコレート

ゴディヴァ・ミーンズ・リッチ。わたしはぎゅっと眉間に皺を寄せてため息をつく。そう、何を隠そうわたしはゴディヴァのチョコレートを食べたことがない。(というか、チョコレート、でいいのだろうか。ショコラと言わなきゃならんのか。)チョコレートと言って出てくるものと言ったら、明治や森永の板チョコレート(せめて板にはプレートとルビを振っておこうか)、きのこかたけのこかで言ったらたけのこ派、オレオの秘儀めいた黒と白のバランス、金と銀のエンゼル、見たことがない! 等々の話が関の山で、わたしをさかさまにして振っても、でめる! とか、ぴえーるまるこりーに! とかのブランドは出てこない。チョコレートの話題ならアラビアン・ナイトをつくれそうな程度なら事欠かず、にもかかわらず、チョコレート好きならだれもが知っているお店の話になると口をぱくぱくさせるしかないのは――つまり? だなんて問いたださずに、どうかお察しいただきたい。

ゴディヴァというのは、ピーピング・トムの逸話のゴダイヴァにちなんでいるという。けれどもそれが、いったいどういうことなのかはわたしは知らない。つまり、穢れなく美しいもの、本来人目に触れることすらままならないような清いものの象徴である、と考えることはたやすいし、実際覗き穴というにはちょっと巨大なショーウィンドウ越しに見てみても、台座つきの白馬にまたがっているかのように、ゴディヴァのチョコレートは堂々たる輝きを秘めているものである。ほう、と今度は、顔から眉毛を落っことしそうな顔になって(とはみどりちゃんの観察によるものだ)、わたしはため息をつく。象嵌細工などとは違って、腹に入っちまえばおんなじなのに、というか、舌に載せた時点でもうその工夫は溶けはじめてしまうというのに、にもかかわらず、なんといううつくしさ。なんという無駄な労力。なんという精緻な無駄! 感激のあまり、わたしはわーっと大声で叫びたくなる。わーっ!

「そんなに食べたいんだったら買えばいいのに」

わたしがみどりちゃんのことを好きなのは、こういう台詞を決して呆れたように言わないことだ。ちょっと首を傾げて、ビッグバンを発見した神様みたいに不思議そうな顔でこう言う。

「ほら、こっちのやつなら買えない値段じゃないでしょ。買っちゃえ買っちゃえ」

うーん、とわたしは呻く。頭のなかの電卓は、今月の生活費を計算するためのものじゃない。かと言って、雑費を計算しているわけでもなく、どちらかというのなら、金銭に還元できないものの数字を、いまわたしは弾いているのだ。イコールキーを押す前に、わたしの口に、いわば概算とも言うべき数字がのぼる。

「……岡崎京子の漫画にあったよね。西瓜を丸ごと食べたいって夢を持ってた女の子がいて、でも、いざその夢がかなってしまうと、なんだかつまらなく思えてしまう、ってやつ」

「あったけどさ、真魚ちゃんってそんなにリリカルな子だっけ。ん? リリカルって詩的だっけ? まあいっか。みどり、真魚ちゃんはもっとリアリストな子だと思ってたよ」

「あはは、確かに。じゃあ、チョコレートひとつぶに数百円もかけるのはもったいないってことにする?」

「いや、そんなしみったれた女でもないね。真魚ちゃんはやるときはやる子だよ」

なるほど。じゃあ、わたしのこの気持ちはなんだろう? 正確に言うのなら、「気持ち」と呼べるほどには確固たる形もなく、気づいたら洗濯物を濡らしている見えない霧のような心情の一部は。ちょっと考えてわたしが思いついたのは、こんな寓話めいた言い分だった。

「一万円札ってさ、要するに紙じゃない?」

「え……うん、まあ、みどりの知ってる限りだとそうかな」

「そう。で、ゴディヴァも要するにチョコレートだけど、『要するに』じゃダメなの。一万円札とおんなじで、わたしにとってその意味は、紙切れじゃなくて、もっと別のところにきっとあるの」

「ふうん……」

みどりちゃんはしばらくのあいだ、なにか自分の知っている何かに――一万円札よりももっと身近な何かに――それを置き換えようとしているみたいだったが、ようやく何かそれらしいものに行き当たったようだった。にっこり笑うと、

「わかった。じゃあ、今日は買わないことにしよう。でも約束して」

「約束?」

みどりちゃんはわたしの手をぎゅっと握ると言った。

「ゴディヴァをはじめて真魚ちゃんが食べる時は、みどりといっしょに食べること! 以上です!」