小説

タナトスとカビキラー

タナトスとはなにか? Wikipediaの記事を鵜呑みにするのなら、それは、[ギリシア神話に登場する、死そのものを神格化した神]のことだという。平たくいうのなら「死」の象徴であり、実際は形而上にしかない「死」というものを、形而下において具現化したもの、ということになるだろうか。おそらくそれは、ほんらい戯れることのできない「死」というものとなんとかして戯れるために、文字通り「必死に」ヒトが発明した視座なのだと思う。だって、いきなり「死」なんかに出会うことになったら、わたしたち、びっくりしすぎてきっと耐えられないもの。だからわたしたち、日々、タナトスと遊ぶ。

「タナトスだねえ、みどりちゃん」

「そうだねえ、真魚ちゃん」

たとえばこんなふうに。死と顔なじみになって、いつかだれしもに訪れるそのときを、ただの衝撃で終わらせないために。

というわけで、この中継をお送りするのはお風呂場からである。お風呂場――そこはタナトスの宝庫。すくなくともわたしたちにとっては。

「キャー! 壁に黴が!」

「いやーん! 天井にも!!」

わたしたちはお互いの手に手を取り合い、ことさらな悲鳴をあげてみせたあとで、ふふふっと、天使のように笑ってこう言うのだ。

「タナトスだねえ、みどりちゃん」

「そうだねえ、真魚ちゃん」

すこし説明がいるかもしれない。

こういうお話のご多分に漏れず、言い出しっぺはみどりちゃんのほうである。

「真魚ちゃん、黴って死の象徴みたいだよね」

わたしは違和感をおぼえた。みどりちゃんのせりふの意味に、というよりは内容に。だっていまはうららかな春の午後である。「死」というのは、酷暑か酷寒が似合うものではなかろうか。

「はあ」

「だってさーあ、そうじゃない!?」

わたしの生返事に、みどりちゃんはかえって昂奮したようだ。

「黒いしさ、ふっと気がつくとそこにあるしさあ、いつからあるかわからないしさあ、わたしたちの肉体を蝕むしさあ。すべてのひとが死ぬ運命であるように、すべてのお風呂場は黴びる運命にあるしさーあ!」

「倒しても倒してもよみがえってくるし?」

「そう!」

「黴臭いし?」

「そうそう……ってそれはあたりまえだっつーの!」

みどりちゃんがビシっとツッコミをいれる。わたしは微笑むと、本を閉じ、ふと、そういえば、と思い出した。それはこういう話だ。パンに生えた黴、あれは、異常の初期症状ではなく最後通告なのだと。黴が生えたパンは、黴をむしったところで、もはや決して食べてはいけないものなのだと。うーん……とわたしはうめく。パンに黴は宿るけれども、黴が繁茂しすぎたパンは、おそらく瓦解する。自身の宿主を殺してまで生き延びようとするというのは、それは――

「一種のタナトスって言えるのかもしれないね」

どうだろう?

わたしたちは白い割烹着に白いマスクをつけ、白い三角巾を頭に巻いて、きゃっきゃっとさわぎながらあちこちにカビキラーを吹きつけてゆく。ごしごしとスポンジでこする。すっかりきれいになったお風呂に、今日はお湯を張ろう。無印で買った入浴剤を入れよう。ジークムント・フロイトはきっと、お風呂掃除が嫌いだったにちがいない。でも、わたしたちは明日も生きてゆく。