• 小説

    夏空一過

    こんなところに隠れるんじゃなかった、と、ヒロノブは後悔していた。縁の下はじめじめしていて、やたらと蟬の鳴き声が大きく響いて聞こえる。ズボンもシャツも、母親に叱りつけられるくらいには汚れているだろう。何よりここは――そう思いながら、ヒロノブは掌で地面をそっと撫でる――何よりここは薄暗くって、まるで星のないプラネタリウムみたいだ。当初は妙案と思えた隠れ場所も、ヒロノブが臆病者であることを勘案すると、決して最良の場所とは言えないことが次第しだいにわかってきた。とはいうものの、この場を飛び出したら、鬼役のタケにすぐ見つかってしまうだろう。陽気におーいヒロノブどこだー、と呼ばわるタケの声が、その陽気さも含めて、今のヒロノブには酷く恨めしかった。

    それでも、ヒロノブがなんとか持ち堪えることができていたのは、二本の白い足のおかげだった。二本の足は、おそらく母親のものだろう、洗濯物でも干しているのか、あちらとこちらを行ったり来たりしている。あの足がぼくの目の前にある限り、ぼくは鬼には捕まらない。(きっと母親は、自分を守ってくれることだろう。)そんな安堵ゆえに、ヒロノブは縁の下で息を潜め、自分を匿うことができていたのだった。

    ヒロノブが違和感に気付いたのに、特にきっかけがあったわけではない。ともかくヒロノブは、やがて、自分の目の前の足が靴を履いていないことに気がついた。たとえ庭でも裸足で外に出るな、と、母親はヒロノブに口を酸っぱくして言っている。そんな母親が裸足で洗濯物を干したりするだろうか? そんなふうに考えてみると、その足は、いささかばかり白すぎるように思えた。ヒロノブの母親は地黒なのを気にしていて、外で遊びまわっているヒロノブと同じような肌の色をしている。果たしてそんな母の足を「白い」と自分は思うだろうか? それじゃああれは、と思った瞬間、でろん、と長い尻尾が、裸足の足の間から垂れ下がった。

    悲鳴をあげそうになるのを、ヒロノブは懸命に押し殺した。泥まみれの掌を口元に押しつけ、必死で息を殺す。髪の生え際から、冷たい汗が、火に炙られた蠟のように滴ってくる。白い長い足は何かを待っているように、トントン、と大地を叩く。それからまた、右往左往を始める。一体自分は何を見ているのだろう。一体何が起こっているのだろう。でも、これは見てはいけないものに違いない。もし見ていることが露見したら――。ヒロノブは寝そべったまま後退りをはじめようとした。けれども、そんなヒロノブの目の前に、さらに一対の足と一本のしっぽがどこからともなくやって来て、ヒロノブは喉の奥で掠れた声を思わずあげた。幸いなことに、足は四本のうちのどれも膝を曲げることなく、つまりは、かがみこんでヒロノブをのぞき込もうとすることなく、爪先と爪先で口づけをするように相対していたのだけれども。

    やがて、後から来たほうの足が、すっと白い足の横に並ぶ。四本の足はゆっくりと歩調を揃えて歩き始める。あの時のもったりとした時間の流れ方を、生涯自分は忘れることはないだろう。ともかく、足はヒロノブの視界から消えた。それから、さらに幾許かの逡巡があった。けれどもヒロノブは、ようよう縁の下から外へ出る。

    とたんに、激しい夕立が、ヒロノブに襲いかかった。ヒロノブは目を細めて空を仰ぐ。まるで水たまりのように自分の上にだけ雲があり、あとは青空が広がっている。あー、ヒロノブ見っけー、というタケの声を遠くに聴きながら、ヒロノブは夕立のはじまるところを、誰かが空という硝子に息を吹きかけてできた曇りを、一心に見つめていた。

    今でも夏の、あの糖度の高い空を見るたびに、思い出される出来事である。


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  • 書籍/電子書籍

    いまはむかしのものがたり

    いまはむかし、あるところに――。

    「いまはむかしのものがたり」

    収録作品

    • 象と群盲
    • 附子に真珠
    • 薔薇食いと吸血鬼
    • 蕈と笋
    • 鶴と兵士
    • 黒の中の青
    • ルニアの生贄
    • 欲望する鏡
    • 鶏男
    • 白の民・黒の民

    販売サイト

    初版発行日

    • PDF:2020年8月26日
    • mobi:2020年9月16日
    • 書籍(文庫):2020年8月26日

    頁数

    • PDF:54p
    • 書籍(文庫):58p(表紙回り4p含む)

    発行元

    • PDF:6e
    • mobi:6e
    • 書籍(文庫):6e

    備考

  • 小説

    「次の夏」幻想

    どこまでも続く青と水色を埋め合せるように、何羽かの白い鳥が、印象派のタッチさながらに、水平線を蹴って空へと飛び立っていく。砂の上には、子供心に拵えた小さな塔がひとつ、まだ雨龍は寝息を立てているが、わたしは万にひとつでもそれが崩れないようにそっと、いつのまにか手にしていたあたらしい傘を開いて砂地にそっと差す。塔と海鳥のあいだには、ひとりのあなたがいて、不思議なことにあなたは、陸のほうも海のほうも見つめていない。陸と海に跨るようにわずかに足を開き、左足だけを器用に波にさらしている。わたしはとっくにこれが夢だと気づいているが、どれだけじっと見てみても、あなたの表情が曇り空の向こうに浮かぶ太陽のようにぼんやりとしかわからないので、なおさらこれが「あなたの夢」だと気づく。とはいえ、獏が鏖殺みなごろしにされた世界に足を踏み込んで、夢を見つづけるのは、ひどく剣呑なことだ――そう思いながらも、そのまま、いったいどれだけのあいだそうしていたことだろう?

    ――おかえりなさいな。

    ようやくわたしは、その必要に気づいてあなたに声をかける。「愛するあなたに」と言ってももちろん構わない。あなたはわたしのほうを見ないで、わずかに首を傾げる。ちょうどそれは、海に長い間浸かったあと、耳に忍び込んだ水を吐き出させようとするときの仕草に似ている。

    ――あなたがここに来るにはまだ早い。せめてそう、次の夏、次の夏が来るまでは、焼きたてのパンのような寝床でお眠りなさい。

    わたしがそういうと、あなたは初めてわたしのほうを見た。ぼんやりとしかわからないはずのその表情が、なぜかいかにも苦笑めいてみえたので、わたしは少しどきりとする。

    ――何を言うの。

    あなたの声は、あなたの表情よりはよくこの世界に通った。適切に吹く海風が、あなたの声を適切に、わたしの耳に運んできたのかもしれない。

    ――「次の夏」なんて来ない。それどころか、「ひとつ前の夏」もない。資料も統計も改竄されて、「夏」という季節は喪われてしまったのだから。

    わたしが何かを言う前に、あなたはゆっくりとかぶりを振ると言った。

    ――ねえ、わたしとあなたのいる世界は違うけれども、そこには幸い明確な境界線があって、境界線のうえになら立つことができる。そうでしょ? なら境界線のうえでわたしを抱きしめて。

    あなたはさびしそうにそう言った。仮にさびしそうな声でなくても、わたしはさびしそうにと思っただろう。惻隠そくいんの情を覚えただろう。だから、言われるがままに、わたしはあなたに近寄ると、あなたをきつくきつく抱きしめる。後ろは振り返らない。だっていま、わたしが塩の柱になってしまったなら、あなたはきっと悲しむだろうから。でも、ほんとうは後ろを振り返りたくてたまらない。まるで空(くう)を抱きしめているように、あなたの体温がまるで感じられないことは、わたしにとって哀しいことだから。

    あなたはどう思ってる? あなたは何を感じてる? そう思いながら、わたしはゆっくりあなたから身体を引きはがす。けれども、あなたがどう思っているのかはわからない。なにせあなたの表情は、曇り空の向こうに浮かぶ太陽のようにぼんやりとしかわからないので。

    ――ありがとう。

    そうあなたが言うが早いか、ざぶんという音がして、わたしは少し遅れてあなたが海に帰ったことを知る。ときどき人魚の尾びれを海面に覗かせながら、水平線に向かって逞しく泳いでいくあなたに、わたしは胸の前で小さく手を振った。


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  • 論考

    遠野遥「破局」論――ゾンビたち、もしくは〈温かい手〉という福音

    「破局」の語り手である陽介は、精神面ではともかく、身体面では、他者に対してある種の鋭敏さを見せる人物である。たとえば、自身が殴りつけた〈大学生風の男〉に対する以下の描写を見れば、それは一目瞭然であると言ってよい。

    肩幅の広さや胸板の厚さ、首やふとももの太さには目を見張るものがあった。それでいて脂肪はほとんどついていない。おそらく、とても実用的な筋肉だ。(筆者略)日に焼けた逞しい上腕二頭筋がとてもよく映えた。

    そんな陽介にとって、他者というのは、性欲などの主観を排したとき、どのように身体的に把握されているだろうか。ここでは、体温を軸にして見ていきたい。

    丁寧にその記述を拾っていくと、「破局」においては、陽介が誰かの体温を感じる描写が非常に多いことに気づかされる。陽介がはじめて誰かの体温を感じるのは、日課のジョギングの途中で〈道を聞〉いてきた〈外国人の男〉に対してだ。

    男は日本語で礼を言い、私のもとを去った。私は男の左腕に触れながら喋っていたが、汗をかいていたから、控えたほうがよかった。私の体が熱くなっていたせいか、男の腕は冷たく感じられた。

    この文章の直後、パラグラフが変わり、語り手は〈部屋に帰り〉、膝からのメールに〈わからないとだけ〉返信する。すなわち、テクストのうえでは、〈外国人の男〉が去ったあと、いちばん最後まで残る余韻が〈男の腕〉の〈冷た〉さとなる。

    ところで、そもそも陽介は、なぜ〈外国人の男〉の〈左腕に触れながら喋っていた〉のだろうか。たとえば、〈外国人の男〉が盲目であり、安心させるためにその〈左腕に触れながら喋っていた〉という可能性はないとは言えない。しかし、テクスト内部に決定的な根拠を有するような記述は、管見では存在しない。そもそもこの〈外国人の男〉の登場はいささか唐突であり、一見テクスト内部の他の記述と、なんのネットワークも形成しないように思えなくもない。

    これを考えるにあたっては、その他の体温の記述を拾っていく必要があるだろう。「破局」のテクスト中に、「冷」という文字は十三回出てくる。そのうち、接触の際に誰かが感じる「冷」は、以下の四例となった。

    ①麻衣子の手は冷たく、私は思わず身を震わせた。
    ②滑り台が熱を奪ったのか、灯の手は冷たかった。
    ③灯の手はまだ冷えていた。でもすぐに温かくなる。
    ④私は灯の右手を引いて椅子から立たせ、彼女を正面から抱き締めた。体が冷えているのがわかった。

    次に、「熱」について調査した。接触の際の「熱」は、以下の二例である。

    ①勃起した男性器を押しつけられるのは、いったいどんな気分か。(筆者略)熱いか。硬いか。
    ②灯の手にはやけに熱がないけれど、それは私の体温が高いせいかもしれない。

    最後に、「温」についての調査の結果、接触の際の「温」は、以下の一例と、後述する一例の、合計二例であることが判明した。

    ①つい先程まで私の一部だっただけあって、精液は温かかった。

    ここまで引用してみれば、事態は明白であろう。つまり、つねに「破局」において、陽介は、自分をつねに〈熱〉いものとして、そうして、こちらがより重要であるのだが、他者をつねに〈冷た〉いものとして感受しているのだ。七例の出現箇所がすべてそうなっていることから、これは恐らく作者である遠野の意図した結果であろうと思われ、小谷野敦の〈たぶん設定がずさん〉(註1)という読解が、いかに〈ずさん〉なものかを傍証するものでもある。

    さて、陽介が「冷たさ」を感じるのは、灯と麻衣子、つまり恋人の女性ふたりだけだろうか。ここで、先程の〈外国人の男性〉が再度検討の対象に入る。彼は、一瞬袖擦りあっただけの「赤の他人」の「外国人」の「男性」であり、つまり、性差なく、また国籍も関係性の深さも問わず、テクスト中において、陽介は他者の体温を「冷たい」と感じていた、ということが、〈外国人の男〉の〈腕〉の〈冷た〉さによって可能になるのである。

    もちろん、筋肉には熱産生があり、〈ヒトが1日に産生する熱量は、筋肉運動などの活動状態によって大きく変化する〉(註2)ものである以上、陽介の筋肉質な肉体が人より熱いのは当然である。しかしながら、そのことと、彼が他者の体温を「冷たい」と感受してしまい、あまつさえそれを記述してしまう、ということのあいだには、まったく別の意味が生じてくるだけの懸隔があるように思われる。具体的に言うのなら、陽介は、他者との温度差に敏感であった、ということが、散見される「冷たい」という言葉から明らかになるのである

    ところで、作中には「身体的に冷たい」人間を表現する言辞が出てくる。言わずと知れた「ゾンビ」である。それを踏まえ、他人の体温を「冷たい」としか感じることのできない陽介の立場に立てば、陽介にとって他人は、ある意味においては「ゾンビめいた」存在であったのだ、ということが、陽介がどのくらい自覚していたのかはともかくとして、可能となってくるだろう。その一方で、陽介は、ラグビー部の後輩に〈俺は現役だった時、実際に自分をゾンビだと思い込むようにしてい〉た、と言う。しかし、〈思い込むようにしてい〉た、ということは、陽介は、〈思い込むようにし〉なければゾンビになれなかった、ということになる。これは、何度か出てくる自身の相対的な体温の高さについての描写と相俟って、陽介が「ゾンビめいた」存在とは実は一線を画した存在であること、すなわち「人間」であると自認している存在であることを意味しうる。川本直の〈欲望と道徳に反射的に従うだけの陽介は正にゾンビだ〉(註3)という指摘は、客観的な陽介の評価を、ある意味代表するものであろう。これは、陽介の主観と客観の齟齬とも考えられるが、〈現役だった時〉の陽介と今現在の陽介のあいだの変化とも考えられる。たとえば、陽介が大学の部活動としてラグビーをしている描写がない理由は推測することしかできないが、ファストフード店で偶然聞こえてきた、ラグビー部の後輩と思しき人物の、〈「大学じゃ通用しないんだろ。(筆者略)だからいまだにここに来てイキッてんの」〉という台詞は、その後の陽介の混乱ぶりを見るにつけ、当を得ていたのではないか。そうして、そのときの陽介の混乱ぶりは、陰口を叩かれていたことを踏まえても、尋常ではないほどの、と言っていいだろう。その混乱を、特に裏付けているのが以下の場面だ。

    早歩きでまっすぐ駅へ向かい、改札を通り抜けた。エスカレーターの右側を一段飛ばしで上り、閉まりゆくドアを肩でこじ開けて電車に乗った。

    〈マナー〉を遵守する性分であるはずの陽介が、ここでは、〈エスカレーター〉を〈一段飛ばしで上り〉、発車間際の電車に無理やり体をねじこみ乗り込む、という、〈マナー〉に照らせば明確な違反行為を行っている。そうして、自身の〈マナー〉違反を咎めるような〈舌打ち〉をした人物に、苛立ちを隠さない。陽介は、他人の〈マナー〉違反については、たとえ内心でどう思っていようとも、実はそこまで不寛容であるような「そぶり」を見せることはない。たとえば、未成年であるにもかかわらず〈シャンパン〉を口にした灯に対しては、〈私はそれについて何かを言おうとして、途中で何が言いたいのかわからなくなってやめた。〉とあるし、また、深夜突然の来訪をした麻衣子を結局は自身の部屋に通してしまう場面なども、その一例としてあげられるだろう。にもかかわらず、ここでは、自身の〈マナー〉違反を棚上げして、〈ドアに手をついて〉男の〈逃げ場をなく〉すような、強引な行為に打って出る。平生の陽介のふるまいとは、大きな違いがあるとみていいだろう。

    本テクストにおいてゾンビは、何も口述することのない存在である。ゆえに、これはあくまで仮定ではあるが、「人間」である陽介は、「ゾンビめいた」存在であるはずの後輩たちの、「陰口」という、「ゾンビめいた」存在らしからぬふるまいに、あるいは、「ゾンビめいた」存在の「陰口」をストレートに読解できる自身に過剰に動揺したのではないか。だからこそ彼は、自身を「ゾンビめいた」存在であると認めないために、彼らからじゅうぶんな身体的な距離を置いたうえで〈先程食い損ねたのと同じファストフード店〉(註4)に入り、〈チーズバーガーと魚のバーガー、それからチキン、珍しいパイ〉を、大量の食べ物を食らうのだ、と考えられる。ゾンビはヒト以外のものを食べないが、人間は、ハンバーガーやチキン、そうして珍しいパイを食べるからである。

    さて、物語の終盤、陽介とおなじような体格の男性が、陽介に殴られ意識不明におちいる場面がある。もし、しみの述べるように、単に意識不明におちいっただけではなく、〈(恐らく)男は絶命した〉(註5)のならば、そうしてその可能性はかなり高そうにも思えるが、「死」は「冷たくなる」と言い換えが可能なのであるから、ここにも「冷たさ」が、それも、意味的には最上級の「冷たさ」が生じる。陽介がラグビー部の後輩に対して投げた言葉としては、このようなものもある。

    ゾンビは痛みや疲れなんて感じない。死んでるわけだから、何もわからない。

    しかし、無論地上に活動している人間は「生きてる」はずであり、陽介が感じないだけで、否、感じることができないだけで、彼らにも体温がある。だからこそ、「死」は「冷たくなる」(=もともとは「温かかった」)と表現されるのである。そうして、陽介はそのことをきちんと自覚する。〈晴れた日の空に似た色のワンピース〉を見たのち、〈空をこんなふうに見上げるのは久しぶりで、私はこれを、もっと早く見るべきだったと知った〉とあるのは、表面をなぞるような目線が、事物の本質に触れる目線へと変化したことを示すもの、と考えてよいだろう。そうして、最後、陽介の〈体〉は〈優しく押さえ〉られる。自身を〈優しく押さえてい〉る手について、陽介はこう表現する。

    彼の手はとても温かく、湯につかっているかのように、心地よかった。

    陽介の身体的な価値基準は、最後の最後にさりげなく、しかし見事なまでにうつくしく顚倒し、彼は、自身の周囲にいるのが「ゾンビ」ではなく「人間」であることを、心ではなく体で、はじめて理解することができたのだ。


    • (註1)小谷野敦「ハクチ感が漂う」https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2JFD05MVIJUYG/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B08BNJJC5L(二〇二〇年七月三〇日、二〇二〇年八月二二日閲覧)。なお、陽介の実家が〈東京にありそう〉なことを前提に小谷野の評は進められていき、陽介が一人暮らしをしていることで〈たぶん設定がずさん〉という結論に落ち着いているが、現在陽介の実家が〈東京にあ〉ることを示す文言は、テクスト中には一切見られず(陽介は母子家庭である可能性が高く、彼の大学進学を機に、母親は自身の実家に戻り、陽介ひとりのみ東京に残っている、などというパターンは十分に〈ありそう〉である)、〈ありそう〉〈たぶん〉などという留保つきで進めていく、あたかも「多分といえば嘘をつかなくてすむ」という格言に似た論評の手つきを抜きにしても、小谷野の評言が〈ずさん〉であるという謗りは、残念ながら免れないだろう。
    • (註2)「体温」https://home.hiroshima-u.ac.jp/mededu/pdf/download/体温.pdf(二〇二〇年八月二一日閲覧)
    • (註3)川本直「我々は空虚なゾンビであり、空虚なゾンビは我々である――遠野遥論」(「文學界」二〇二〇年九月号)
    • (註4)「破局」には、灯が〈ファーストキッチンでポテトを食べ〉る場面がある。しかしながら、陽介が入ったファストフード店は、ファーストキッチンなのかマクドナルドなのかモスバーガーなのか、具体的には書かれていない。しかし、このことにより、〈先程食い損ねたのと同じファストフード店〉という表現が可能となってくる。
    • (註5)しみ「ゾンビ、ごめん。」(「note」https://note.com/southern6344/n/ne76018179a9b、二〇二〇年七月一三日、二〇二〇年八月二二日閲覧)
  • 論考

    遠野遥「破局」論――「破局」における擬人法とその展開

    「破局」は、すでに三好愛や佐川恭一らが指摘している(註1)(註2)ように、非常に特異な擬人法が登場するテクストである。三好と佐川が指摘している個所を、前後も含めて少し引用してみよう。

    ①今日まで私の性器を守っていたこの陰毛は、抜け落ちた今、ただのゴミになろうとしていた。文句も言わずに仕事をしてきたのにあんまりな仕打ちだと思い、私はこの陰毛をなんとかしてやりたくなった。何か使い道はないだろうか。たとえば小銭入れに忍ばせておいたらこの先一生女に困らないとか、そういう効果はないだろうか。あってほしかった。しかし小銭に陰毛が混じっているのはどう考えても不快だった。
    私は彼を、床に落とした。床に落としてしまうと、彼はもうどこにいるのかわからなくなった。
    ②ひとつだけやめて欲しいのは、セックスの最中、私の性器とおしゃべりをすることだ。性器に話しかけるときは敬語を使わないから、私に言っているのではないとすぐにわかる。(筆者略)話しかけられているのは私の性器であって私ではないから、当然私は返事をしない。性器も性器だから返事をしないが、灯は構わずひとりで会話を続ける。(筆者略)なんだか仲間外れにされているようで面白くなかった。

    ところで、擬人法とは、そもそもどのような技法であろうか。秦恭子は、S・ミズンや中沢新一の論を踏まえ、〈「人を動植物として」あるいは「動植物を人として」重ね合わせて思考する擬人法は,古来より,自然界との調和的な生活を築いていくための「共感をともなった謙虚な知性」や生命倫理を人間社会の中に生み出してきた。〉(註3)とまとめている。〈陰毛〉の擬人化の前半は、まさにこの秦の〈「共感をともなった謙虚な知性」〉なる記述をなぞっているように、「〈私の性器〉が〈守〉られていたという〈謙虚〉さ」と、「〈ゴミになろうとしてい〉るのを〈あんまりな仕打ちだと思〉う〈共感〉」に充ち満ちている。しかしながら、その共感は持続しない。陽介は〈彼〉を〈床に落とし〉〈どこにいるのかわからなく〉してしまうからである。

    いっぽうで、上記二例の擬人法は、〈「人を動植物として」〉扱うものでも〈「動植物を人として」〉扱うものではない。人の肉体の一部(それも、脳や心臓ではない一部)が、あたかも「人格」とされるような何かを有しているかのように描写する、というものだ。

    このような描写をしているテクストとして想起されるのは、たとえば、ヤプーズの「12階の一番奥」の以下のような歌詞である。

    指や唇とかは嘘を見抜くのが下手 羨ましいくらいに信じる(註4)

    「12階の一番奥」においても、人の肉体の一部(それも、脳や心臓ではない一部)が、あたかも「人格」とされるような何かを有しているかのように描写されており、更に言うのなら、この両者にはそれ以上の共通点がある。いったいそれはなにか。ヒントとなるのは、佐川恭一の、以下のような指摘であろう。

    「性器も性器だから返事をしないが」なんて並の人間が二億年考えても書けなくないですか?ここは普通なら「当然私は返事をしない。それでも灯は構わず~」って続けると思うんですよね。(註5)

    この指摘が非常に示唆に富んでいるのは、〈性器だから返事をしない〉という部分が、〈私は返事をしない〉と〈普通なら〉言い換え可能であることに言及している点である。「12階の一番奥」においてもこれは同様でありそうに見える。

    ところで、「12階の一番奥」において〈嘘〉とはどのような機能を担うものであろうか。この曲の冒頭のフレーズは、〈嘘だと嘘だと 言ってられれば 安心してられる〉であり、それと呼応するように〈信じない〉という言葉が何度も用いられている。つまり、「12階の一番奥」の語り手にとって〈嘘〉でないこと、〈信じ〉るに値するような善きものの存在を、語り手は、頑是ないまでに認めようとしていないのだ。「愛」と一般的に呼ばれるものについても〈信じない〉ゆえに語り手は、たとえば「私は嘘を見抜くのが下手。指や唇に翻弄される」などと言うことができない。〈指や唇〉が、第三者を――おそらくは恋人を〈信じ〉るなかにあっても、語り手はそれを〈信じない〉と言いつづける、というのが、〈指や唇とかは嘘を見抜くのが下手 羨ましいくらいに信じる〉という部分の内実だ。ここにあるのは、語り手の意識と肉体的な認知に基づく感覚との間のずれである。結果として、「思考する語り手」と「感覚する語り手」とも言うべき、ふたりのまったく別の「人格」を有する語り手のふたりが、ここには存在することになる。

    これを踏まえたうえで、「破局」の性器の比喩はどうか。引用のとおり、陽介は灯と自身の性器の会話を〈仲間外れにされているようで面白くなかった〉と記述している。陽介にもまた、自分の〈性器〉を、完全に自分とは切り離された他者のように見る目線があるのだ、ということができる。そうして、テクストの後半部、灯に別れを切り出される朝の、〈灯は(筆者略)私にキスをした。それから私の性器にもキスをし、少し口に含んだ後で、何か声をかけた。彼らだけの内緒話のようで、私には内容が聞き取れなかった。〉という箇所を見ると、陽介の中で〈性器〉を他人と感じる比重は、益々増えているように思われる。〈性器も性器だから返事をしない〉の場面では、〈性器に話しかけるときは敬語を使わない〉と陽介は言っていた。すなわち、話の内容を聞き取ることができていたと考えられる。ところが、灯に別れを切り出される直前に灯が〈性器に声をかけ〉る場面では、〈内緒話のようで、私には内容が聞き取れなかった。〉と言っているのである(註6)。おなじ〈性器〉を他者のように扱っている場面でも、その距離感において、両者には大きな差異があると言ってよい。これが、自身の中にある他者性が、つまり自身に理解不可能な部分が漸増していることを示すのは論を俟たない。

    もう一点、「破局」において、陽介の〈性器〉を擬人化しているのは陽介だけだろうか。むろんそうではない。〈私の性器とおしゃべり〉をし、〈私は返事をしな〉くても、〈構わずひとりで会話を続ける〉灯もまた、陽介と同様、陽介の〈性器〉を擬人化し、陽介とは異なる「他者」として会話している、と言ってよい。そうしてよくよく考えてみるとこれは、灯が、自身の〈性欲〉について葛藤する描写と接続するように思われる。

    正直に言って、私は相手が陽介君じゃなくてもいいと考えるようになっていたんです。大学とか電車で筋肉質な男の人を見ると、あ、抱いて欲しい、って自然に考えるようになっていたんです。でもそのたびに私には陽介君がいるからって、そんなの絶対にいけないし、心の中で思うだけでも陽介君に対する裏切りになるって思ってたんです。だから私はいつもポケットに安全ピンを入れておいて、そういうことを考えそうになると、それを自分の指先に刺してたんです。

    自身の〈性欲〉と、その〈性欲〉を許しがたいと考える灯が同時に存在していることが述べられており、いわば、「自身の中にある他者としての性」を灯が有していることが、ここでは明らかになる。また、この直前には、〈北海道に行ったとき、相談しましたよね。そういうことをしたいって気持ちが日に日に強くなってるって。でもあの日、本当に言いたかったことは言えなかったんです。〉と灯が陽介に告げる場面がある。陽介の性器との会話を踏まえると、その台詞は、灯が「自身」と「自身の中にある他者としての性」と〈内緒話〉をしていたのだ、と換言することが可能となるだろう。このように、「破局」における擬人法のあり方は、登場人物が抱える自身のなかにまぎれもなくあるにもかかわらず自身には制御不可能な何かを描出する、いわば「伏線」としても展開し、その伏線がもたらす展開は、故きを温ねる言い方をするのなら登場人物に「奥行き」を、そうではない言い方をするのなら、「人間というものの本質にある底の知れない不気味さ」を、テクスト内において実現する、たとえばひとつの柱となっているのだ、ということは間違いない。


    • (註1)「Twitter」(二〇二〇年八月一四日、二〇二〇年八月二一日閲覧)
    • (註2)「Twitter」(二〇二〇年七月二三日、二〇二〇年八月二一日閲覧)
    • (註3)秦恭子「比喩の授業による環境教育の可能性 ―「真の隠喩」としての擬人法に着目して―」(「日本教育学会誌」二〇一六年三月)
    • (註4)ヤプーズ「12階の一番奥」(『Dadada ism』二〇〇二年、戸川純作詞、ライオン・メリイ作曲)
    • (註5)「Twitter」(二〇二〇年七月二三日、二〇二〇年八月二一日閲覧)
    • (註6)なお、この場面の直前、激しいセックスの末、陽介が灯に求められても、ついには性器を勃起させることができなくなっていたことも思い起こすべきだろう。陽介の意志を裏切る存在、つまり、陽介の意志の容喙しえない存在として、〈性器〉が描かれているのだ。
  • 論考

    遠野遥「破局」論――飲食の位相(2)茄子色の、ハムのような色の、チョコレートケーキと似た色の

    「破局」の登場人物のひとりである麻衣子は、つねにワンピースを着た存在として描写される。

    特別な場合を除けば、麻衣子はワンピース以外の服を着ない。実に多くのワンピースを持っていて、同じ月に同じワンピースを着ることはない。

    恋人である陽介がこう断言するほど、麻衣子はワンピースと密接な関係を切り結んでおり、それゆえに、川本直をして、物語のラストで、屈強な男を意識不明に陥らせた陽介を警察に通報したとおぼしき〈「知らない」ワンピースの若い女が誰なのか疑問が湧く〉(註1)とまで言わしめるほどなのだ。

    〈「知らない」ワンピースの若い女〉の正体について考察を深めるのは今後の課題とするとしても、作中におけるワンピースの描写には注意を払うべき点が多い。すなわち、麻衣子のワンピースを描写するにあたり、陽介が発揮する、独特の感性についてである。具体的には以下のとおりとなる。

    ①今日のワンピースは茄子のような色をしていて、ピンク色の小さな花が、茄子を隠すようにいくつも咲いていた。
    ②ハムのような色のワンピースを着た女が立っていた。麻衣子だった。
    ③麻衣子が今日着ているワンピースは、チョコレートケーキと色が似ていた。しいていえば、ワンピースのほうが色が薄い。

    ただ単に紫、桃色、焦げ茶色、などとするものではなく、その色を何かに擬えている。その擬えは、別項で考察する予定である陽介が用いる擬人法と同様に、どことないおかしみを催すもので、たとえば小川公代は、この箇所を引用しつつ、「破局」を〈ユーモアといい、小説の真実性、声、アイデンティティの大胆な”実験”といい、ローレンス・スターン的〉(註2)なテクストであると述べている。

    ところで、こうしてワンピースの描写を三つを抽出してみると、ひとつの通底する特徴が見えてくる。すなわち、ワンピースが擬えられている〈茄子〉も〈ハム〉も〈チョコレートケーキ〉も、みな食べ物だということである。具体的にひとつずつ見てゆこう。

    まず、〈茄子のような色〉のワンピースについてであるが、これを考えるに当たって、語り手にとって茄子がなんらかの意味をもつものであったのか、確認しておきたい。本文中に〈茄子〉という語は二回出てきて、それらはいずれも麻衣子のワンピースを形容する色である。すなわち、語り手が茄子に対して良きにしろ悪しきにしろ、なんらかの思い入れを見せる場面は「破局」においてはない。

    思い入れ、と言えば、陽介は〈ワンピースは茄子のような色をしていて、ピンク色の小さな花が、茄子を隠すようにいくつも咲いていた〉と印象的な形容をしながらも、このワンピースにはほとんど思い入れを感じてはいないようである。なぜなら、陽介はこのワンピースを〈初めて見るワンピース〉だと思っていたが、のちほど〈ワンピースの色〉を陽介が〈褒め〉れば、〈前に着た時も褒めてくれた〉と麻衣子に返されるからである。詳細を論ずるのは別の機会に譲るとして、陽介は、自身の関心のないことには記憶力を発揮しない(ように見える)人物であるが、ここでもそんな陽介の性質は遺憾なく発揮されていると言ってよい。

    なお、〈茄子のような色〉のワンピースを褒めた直後、麻衣子がシャワーを浴びている間、陽介が全裸で窓辺に立ち、〈自慰〉を行う場面がある。その際に、こんな表現が出てくる。

    観覧車の光が、私の性器を紫に染め、それから青く照らした。私は私の性器がさまざまな色に変化するのをしばし楽しみ、

    〈茄子のような色〉とはおそらく〈紫〉であり、さらに陽介が着目するのが、麻衣子の〈さまざまな色に変化する〉ワンピースの、特にその色であることを鑑みると、ここで陽介は、疑似的な麻衣子とのセックスを楽しもうとしているように見えなくもない。ただし、最終的に陽介が〈自慰〉の際イメージするのは、灯の〈白い脚〉なのであるが。

    さて、つづいて麻衣子が見せるのは、〈ハムのような色のワンピース〉姿である。作中には、陽介が〈ツナやハム、チーズなどを載せたトーストを何枚か食べ〉る場面が出てくる。陽介にとっては、ある種日常的に、特に深い感慨もなく食べるもののひとつとして、〈ハム〉はあると位置づけられる。そうして、同じ種類の〈トースト〉を何枚もつづけて食べるところに、陽介にとってはこの朝食の摂り方が、習慣化された行為なのではないか、という推測を立てることが可能である。この推測は、彼がきわめて規律的に行動していることからも、蓋然性が高いように思われる。

    ところで、それでは、麻衣子の着ていたワンピースを〈ハムのような色〉ととらえる陽介の心理は、いったいどんなものだと考えられるだろうか。陽介と麻衣子の関係性を振り返るなら、ふたりは元恋人であり、なおかつメダカのエピソードから、幼馴染でもあったことが本文からはわかる。過去のことを述懐する麻衣子の、〈陽介くんの家もきっと見えた。〉というセリフからは、麻衣子が陽介の家をいまは知っている、すなわち家の往来をするくらいに仲がよかった二人の姿が浮かび上がり、また、〈「そう、生き物係。でも、そのことを覚えてるのって、もう陽介くんくらいしかいないんじゃないかな」〉という麻衣子の台詞にも、いささか特別なくらいに特別なふたりの親密さがうかがえる。また、元恋人という関係上、ふたりは恋人だった当時は互いの家を往来するような間柄であっただろうことは、灯と陽介との関係を見れば想像がつく。

    そんな麻衣子のワンピースに対し、陽介は、自身の習慣に組み込まれた〈ハム〉を、〈ハムのような色〉を見る。ここでは、ふたとおりの可能性があることを指摘しておこう。すなわち、ワンピースを見た瞬間に、陽介は、彼にとっていまやなじみとなった灯が来訪したのではないか、と一瞬錯誤したという可能性、もしくは、元恋人である麻衣子がいずれ自分のもとを訪問するのを、心のどこかでなんとなく予期していたという可能性、その両者である。ただ、後者はもとより、前者の場合ですらも、陽介のなかに麻衣子が、たとえば〈アオイだとかミサキだとかユミコだとか、とにかく別の女〉とは違い、影を落としていた、ということになる。そのような影乃至は予感のせいだろうか、陽介は大した抵抗もせずに麻衣子の押されるがままにセックスをすることになる。

    さて、それでは三つ目のチョコレート色のワンピースはどうだろうか。チョコレートケーキは、陽介にとって特別な食べ物である。それは灯と付き合う前に陽介が〈好きって言ってた〉食べ物であり、灯に初めてふるまわれた手料理であるからだ。そうして、灯に初めてふるまわれた手料理であるかどうかはともかく、陽介がチョコレートケーキを好きなことは、麻衣子にも共有されていた。〈ケーキを好きなだけ買ってあげる〉と言った麻衣子が陽介にまず〈買ってあげる〉のが〈チョコレートケーキ〉だからである。

    このように見ていけば、ひとつの事実が明白に浮かび上がるように思われる。つまり、麻衣子のワンピースの色は、語り手の好物にどんどん接近しているのだ。

    これらを踏まえたうえで、改めてこの〈チョコレートケーキと色が似てい〉るワンピースについて考えてみると、そこにはひどく興味深いものがある。麻衣子は陽介がオーダーする前に彼の好物であるチョコレートケーキをオーダーしていることからもわかるように、陽介の好物を知っていた。また、〈三田〉の〈カフェテリア〉なのだから、当然そこで販売されているチョコレートケーキの微妙な色合いなどにも通暁していたことだろう。そのうえで、〈実に多くのワンピース〉の中から〈チョコレートケーキと色が似てい〉るワンピースを――それも〈しいてい〉わなければ、色としては区別がつかないほどに酷似した――着て陽介を待ち、陽介のためにチョコレートケーキをオーダーした。実際の出来事なら偶然の一致で片づけるべきことだが、テクスト内においてこのような一致が起きるとき、そこには意味を見出すべきである。すなわち、ここで麻衣子は、陽介の気を惹こうとしていた、と考えるのがごく自然だ、ということだ。それが、いまだ麻衣子のなかに残存する恋愛感情に基づくものか、あるいは復讐心や嫉妬という負の感情に由来するのかは不明である。語り手である陽介によって描かれる世界像を見ているだけの読者には、ましてや、〈麻衣子はネガティブな感情をはっきりと言葉にせず、遠回しに伝えることが多い〉ゆえ、陽介には、〈麻衣子の言動を深読みする癖がついてい〉るほどなのだ。麻衣子が感情を激しく吐露するタイプの人物ではない以上、彼女の様子から、その真意を探るのは、非常に難しいと言わざるを得ない。ただし、実際問題として、陽介が〈チョコレートケーキと色が似てい〉るワンピースを着た麻衣子が去ったあと、麻衣子のワンピースの色とおなじ〈チョコレートケーキをひとくち食べ〉、あまつさえ、麻衣子が〈半分ほど残していった〉〈アイスコーヒー〉を〈飲み干〉す、という運動が、如上のとおり、テクストの内部で惹起されたことはまた確かなのだ。

    最後にもう一点、灯が麻衣子との邂逅を振り返るシーンで出てくるワンピースを見ておこう。ここで灯は、〈桜色のワンピースがとても似合っていて〉と、あたりさわりのない表現で麻衣子を褒める。そうして、二人が出会ったのは、〈私にあの人のことがうまく理解できているとは思えないから〉〈偶然なのかどうかはやっぱりよくわか〉らない、と言う。

    もし仮に、だが、そうしてそれは十分にありえそうなことだが、二人が陽介の最寄り駅で出会ったのが偶然ではなかった、という視座に立つときには、見えてくるものがある。麻衣子が着ていた〈桜色のワンピース〉についてだ。〈桜色〉とはどんな色だろうか。一応確認しておくならば、それは、〈R:253、G:238、B:239〉(註3)で表現される〈vp-PR(ごく薄い紫みの赤)〉(註4)だと言う。これは、陽介に言わせれば〈ハムのような〉となる色ではないだろうか。だとすれば麻衣子は、灯とすでに付き合っている陽介とセックスをしたときと、完全におなじ服(註5)で、灯に偶然を装い会ったということになる。麻衣子は〈実に多くのワンピースを持ってい〉ると陽介は言うが、陽介のワンピースの描写が色彩に偏っていたことを想起すると、ここでの〈実に多くの〉は〈実に多くの色の〉と換言できるだろう。ということは、〈ハムのような色〉のワンピースも何着も持っていないのではないかという仮定が成り立つ。

    もう一点はっきりすることがある。それは、麻衣子にとって、陽介と一夜をともにしたことを灯に告白することは、なんら〈特別な場合〉ではなかった、ということだ。〈特別な場合を除けば、麻衣子はワンピース以外の服を着ない〉とはすなわち、〈特別な場合〉には〈ワンピース以外の服を着〉る、ということである。しかしここでは、それをしていない。

    これらを踏まえて出てくる麻衣子像は、いったいどんなものになるだろうか。灯という恋人がいることを知りながらも元彼である陽介と不貞を働いたときの格好で灯に会い、そうして、そこにはいっさい特別なことなどないというふうに不貞を告白する。それは、死んだはずの恋をむりやりに蘇らせつづけ、〈ゾンビのような姿を露わに〉(註6)させつづける、何ほどか呪術師めいた麻衣子の姿である、と言えるのかもしれない。一方で、別項で論じる予定であるが、麻衣子はまた別の貌ももっている。登場人物ひとりひとりに解釈の多様性を与えている、という意味でも、「破局」は読みごたえのあるテクストとなっていると言ってよい。

  • 論考

    遠野遥「破局」論――飲食の位相(1)登場人物をめぐる「飲み物」

    あるテクストにおいて、なんらかの飲み物が登場することは決してめずらしいことではない。そうして、その飲み物が、登場人物の個性を表象する役割を担うこともしばしばある。ところで、「破局」においてもまた、水、カフェラテ、アイスコーヒーなどの飲み物が登場する。それらはテクストにおいて、なんらかの機能を担ったり、テクストの運動の補助輪となったりするものだろうか。

    まず注目すべきは、陽介と灯が接近したきっかけである。陽介は、漫才の途中、灯が〈口元に手をあて、前屈みになって下を向いてい〉ることに気づき、灯に声をかけ、彼女を〈校舎の外に〉連れ出す。なぜ灯が下を向いていたのか、と言えば、〈カフェラテを飲ん〉で気分が悪くなったからである。

    味自体はすごく好きなんですよ。飲み物の中で一番好きなくらいに。

    そう灯は言う。〈すごく好き〉なものによって体調にきずをつけられてしまう灯がここでは描かれているが、とはいえ、別の見方をすれば、カフェラテは灯と密接に結びつけられるアイテムということでもあり、陽介と灯の関係のきっかけには、ひとつの飲み物があった、ということが可能となる。

    気分が悪くなった灯に、陽介は〈自動販売機で水と温かいお茶〉を買ってくる。灯は〈水をたっぷりと飲み〉、陽介もまた、〈喉が渇いているとわかり、彼女が選ばなかった温かいお茶を飲〉む。詳細については後述することになるが、ここで注目しておきたいのは、水はつめたいものであり、お茶は温かいものである、というその「温度差」である。ふたりは異なる温度のものを飲み、そうして、〈キャンパスを出て、駅の反対側にあるカフェに入〉る。そこでも、ふたりは飲み物をオーダーする。オーダーしたのは陽介が〈アイスコーヒー〉であり、灯は〈温かい紅茶〉である。先ほどと温度が顚倒しているが、温度差があることには変わりない。この日は何事もなく、二人は別れる。

    二人が再会するのは、陽介の公務員試験の筆記試験が終わったその日のことである。陽介と灯は、陽介が〈日吉に住んでいた頃、気になってはいたものの、結局一度もいかなかったパスタ屋〉を訪れる。〈いくつかの前菜とパスタ、ピザと肉〉のほかに、二人は飲み物をオーダーする。陽介は〈アイスコーヒー〉を、灯は〈ジンジャーエール〉を、という選択だ。ここで二人がオーダーしているのは種類は違えど同じようにつめたい飲み物であることは、論を俟たない。そうして、しばし陽介は膝の話を灯にしたあと、トイレに行き、〈黒い虫〉を触ってしまうのだが、汚れた手をどうすべきか、そんな迷いを抱えながら席に戻ってきた陽介を待っているものがある。すなわち、〈食後のコーヒー〉である。そうして、〈食後のコーヒー〉は、むろん灯の前にも、おそらく陽介のそれと同じようなカップで、同じような温度で提供されていて、彼女は〈コーヒーカップを両手で持ち、自分のふともものあたりを見つめ〉ながら、自分の部屋に〈チョコレートケーキ〉を〈食べに来ませんか〉と、一人暮らしをしているアパートに陽介を誘うのだ。同じ温度の同じ種類の飲み物が、陽介と灯の距離を縮めるのである。そうして、陽介が、麻衣子という恋人がありながら灯にキスをしてしまう直前に、二人が一本の同じ〈シャンパン〉を飲んだことまで見てみれば、陽介と灯の距離や関係を把握する「小道具」として、「飲み物」がいかに有益な判断材料となるかは、火を見るよりも明らかであろう。

    それでは、陽介と麻衣子との関係においてはどうだろうか。

    彼女は陽介が自分と別れ、灯と付き合いだしたのち、深夜、陽介の部屋をアポイントメントもなしに訪問している。そのとき、彼女はエクスキューズとして〈お酒〉を持ち出す。

    「遅くにごめんね。終電を逃しちゃったみたいなの。お酒を飲んでいたものだから、少しぼんやりしていたみたいで。急で申し訳ないんだけど、泊めてくれないかな」

    >ここでの〈お酒〉が果たす機能は、多くのテクストにおけるそれと同様である。すなわち、飲んだものを酩酊させ、正常な判断力を奪うという機能である。

    酩酊、ということでは、麻衣子がそうなる以前に、膝が自身の引退ライブ後、著しく酩酊した姿を見せていた。

    ふと、校舎から膝が出てくるのが見えた。膝はひとりだった。右手に何かの缶を持っていて、膝のことだからきっと酒だ。歩き方や顔つきからして、今さっき飲み始めたばかりとは到底思えず、ライブが始まる前から飲んでいたに違いない。

    それに比べると、麻衣子は、陽介の家にはきちんとたどりついており、また、足取りもしっかりしており(註1)、あまつさえ陽介とセックスに及びさえする。これはあくまで仮説であるが、麻衣子は実際には酩酊をしているふりをしていただけで、ただ陽介に会いたくて、その口実として「酩酊」を利用したのかもしれない。ただし、本考察においては、麻衣子が実際に酩酊していたか否かが藪の中であろうと一向に問題はないと考える。〈お酒〉というものが、ある種の作用をもたらすものという前提が何ら妨げられることなく、テクスト中で機能しているからである。

    深夜の突然の訪問の次に、陽介が麻衣子に会うのは〈三田〉の〈カフェテリア〉においてである。この日は陽介の公務員試験の筆記試験の合格発表の日であり、麻衣子は陽介の合格のお祝いにだろう、〈ケーキを好きなだけ買ってあげる〉と〈言〉う。

    それを断ってアイスコーヒーを買いに行った。すると、麻衣子も財布を持って私の後を追いかけてきた。(筆者略)麻衣子が私の前に出て、アイスコーヒーとチョコレートケーキを買った。(筆者略)
    麻衣子が自分のアイスコーヒーを飲みながら

    麻衣子は〈ケーキを好きなだけ買ってあげる〉とは言ったが、「飲み物を好きなだけ買ってあげる」とは言っておらず(少なくともテクストの内部では)、また、これに続く記述を見ても、〈アイスコーヒーとチョコレートケーキを買った。〉という箇所が、「アイスコーヒーを2つとチョコレートケーキを買った。」なのか「アイスコーヒーを1つとチョコレートケーキを買った。」なのかは不分明である。しかし、少なくともここで、麻衣子は陽介が買おうとしていた飲み物を選択し、それを口に運んでいる。むろん大学四年生の男女が〈カフェテリア〉でオーダーするものとして、〈アイスコーヒー〉はもっとも一般的な飲み物のひとつと考えてよいだろう。しかし、麻衣子が席を立ったあとの以下の箇所はどう説明するべきか。

    麻衣子が買ってくれたチョコレートケーキをひとくち食べた。麻衣子はアイスコーヒーを半分ほど残していったから、かわりに私がそれを飲み干した。

    もう恋人ではない女性の飲み残しのアイスコーヒーを飲む、というのは、陽介のぎちぎちの〈マナー〉観に照らせば、違反的な行為であるように思えなくもない。にもかかわらず、陽介がそのような行為に出ているのは、灯と陽介のあいだの「飲み物」のやりとりを鑑みるに、麻衣子とのあいだに強いつながりを陽介がおぼえているからであろう。平たく言うのなら、陽介の心は、少なくともこのときは麻衣子に傾いていたという推測を、〈アイスコーヒー〉は傍証するものとなるのだ。

    ところでこの日、麻衣子は陽介に、幼い頃、自宅に侵入してきた屈強な男から自転車で逃げ回ったときの話をする。その際、彼女は自動販売機を発見するのだが、その発見は以下のように描写される。

    体はくたくたで、喉がひどく渇いていた。自動販売機が目に入って、水にしようかお茶にしようか迷ってから、お金を持っていないことに気づいた。すごく心細くて、早くお母さんに会いたかった。

    ここでは「飲み物が買えない」ことにより、幼い麻衣子は心細さを深くしており、そのことが、切実に、もっとも近しい他者のひとりであろう母親を志向させている。もし、自動販売機を発見した麻衣子のポケットには小銭が入っていて、自動販売機で飲み物を買って一息つくことができた、というふうに引用箇所がなっていたら、続く場面の色合いは、いま我々の目の前にある「破局」のテクストと、全く異なるものになっていたはずだ(註2)

    このように、「破局」において飲み物は、非常に重要な意味合いを担っていることがわかる。そうして、その白眉とも言うべき場面が、北海道を旅行中、雨に濡れた灯のために陽介が〈何か温かい飲み物〉を求めるシーンだ。

    灯に何か温かい飲み物を買おうと思い、近くの自動販売機を見に行った。女性は体を冷やしてはいけないと、以前テレビで言っていたのを、思い出したのだ。ところが、自動販売機には冷たい飲み物しか置かれていなかった。少し離れたところにあったもうひとつの自動販売機も確認したけれど、そちらにも温かい飲み物はなかった。今から別の自動販売機やコンビニを探すほどの時間はない。私は灯に飲み物を買ってやれなかったことを、ひどく残念に思った。すると、突然涙があふれ、止まらなくなった。

    この場面は、必然的に先ほどの〈三田〉の〈カフェテリア〉での麻衣子と陽介の関係を思い出すことを要請する。たとえば、〈三田〉の〈カフェテリア〉では、陽介は「自分のために」「アイスコーヒーを買おうとして」いた。これに反してこの場面では、「灯のために」「温かい飲み物を買おうとして」いる。行動原理から、飲み物の温度まで、見事なまでに好対照だ。そうして、〈三田〉の〈カフェテリア〉での場面で最重要なのは、陽介の心が麻衣子に傾いている、ということである。たとえここで〈灯のために〉と語り手が言おうと、読者は、その裏にちらつく麻衣子の影から目を逸らすべきではない。

    さらに付言するなら、ここには屈強な男の急襲を受け、心細い中で、自動販売機で飲み物すら買うことができずにさらに恐怖を強めていった麻衣子の姿がオーバーラップする。非常に奇妙なことに、灯のことを思っているはずなのに、灯と陽介との間には懸隔が生じていっている。幸福感あふれる北海道旅行であるにもかかわらず、この箇所はいわば、灯と陽介の「破局」を暗示する嚆矢的な箇所となっているのだ。ゆえに、〈突然涙があふれ、止まらなくなった。〉という陽介の様子には、このあと展開される陽介の理路とは異なり、きちんと必然性があったのだ、と見ることが可能である。

    さて、「破局」のラスト、灯が陽介に別れを切り出すのは〈灯と初めて会った日に行ったカフェ〉である。ここでも飲み物が登場する。灯は〈冷たいカフェラテ〉を、陽介は〈どのような飲食物も摂取する気になれな〉い、と言いながら、〈アイスコーヒー〉を。むろんこのチョイスはむろん非常に示唆的だ。カフェラテは、灯にとって「好き」だけど「吐き気」を催すものであり、陽介に対する灯のアンビバレントな感情を表象するものだからであることは言うまでもない。一方で、「飲み物」をきっかけにはじまったはずの二人の関係であるにもかかわらず、陽介は、いまや「飲み物」からほとんど断絶している。と同時に、かろうじて選んだ〈アイスコーヒー〉から、陽介が、麻衣子の飲み残しの〈アイスコーヒー〉を飲んだことを、ここでもまた思い起こすべきであろう。

    灯は別れを以下のような態度で切り出す。

    「あの、聞いてくれますか」
    灯はカフェラテのカップを両手で持ち、自分のふともものあたりを見つめていた。

    〈カップを両手で持ち、自分のふともものあたりを見つめ〉というのは、灯が陽介を家に誘ったときと寸分たがわぬといってもいい様子である。にもかかわらず、陽介は、灯に自分の部屋に〈チョコレートケーキ〉を〈食べに来ませんか〉と言われたときには、〈すぐに、悪い話ではないだろうと、楽観的に考えた〉陽介が、今回は、〈いい話でないことは、聞かなくてもわかった〉と感じる。そうしてその予感は、まるで陽介が予言者であるかのように的中する。

    灯は最後に〈これは、今朝まではよくわからなくて、今やっとはっきりしたことだけど、私、陽介君のこと許せない〉そう言って席を立つ。すでに多すぎるほどの指摘がなされていることであったが、陽介は〈マナー〉を基本的には遵守する人物であった。そんな陽介が、〈マナー〉を破ったことにより、彼の世界は、おとぎ話の勧善懲悪をなぞるように崩壊する。陽介は、歩み去ってゆく灯を止めようと、〈急に立ち上が〉り、その結果、〈カフェラテとアイスコーヒーのカップがテーブルから落ち、地面の上で汚く混ざり合〉う。すなわち、この時点でもう、陽介が愛したふたりの女性は、もはや「飲み物」、否、「恋人」という役割を担うことをやめ、汚く、つまり、灯と麻衣子というおのおのの個性を主張したまま、地面から陽介を〈見下ろして〉いるのだ。

    • (註1)〈明かりをつけていない家の中〉を〈一切ためらうことなく〉〈歩〉くという記述が本文中にはある。なお、同記述については、別項で考察する機会を設けたい。
    • (註2)この次のパラグラフの冒頭は、〈深呼吸をして、長い坂をブレーキをかけずに駆け降りていった〉である。もし麻衣子が〈水〉や〈お茶〉を飲み、体を休めていたら、この一文に包含される不穏さなどは、著しく減じていたことだろう。
  • 論考

    遠野遥「破局」論 ――はじめに

    遠野遥「破局」は、「文藝」二〇二〇年夏季号に掲載された。文芸誌に掲載されたものとしては、著者のデビュー作「改良」につづく二作目の中編小説である。元ラグビー部(現在は高校ラグビー部のコーチ)で身体を鍛えることが趣味の慶應義塾大学生の語り手・陽介、陽介の同級生でありお笑いをやっている膝、膝の引退ライブで出会いのちに陽介の恋人となる後輩の灯、陽介の幼なじみでもあり(テクストがはじまった当初は)恋人でもあった同級生の麻衣子という四人の人物を軸に展開する青春小説の設定を持ちながら、主にその語りにより、きわめて堅牢な屈託を有するテクストとなっている。タイトルの「破局」とは、①灯と付き合いだしたのち、麻衣子と一夜をともにしたことが露顕し、灯に別れを切り出された陽介が、②自身を置いて店を出ていった灯を追いかける途中で屈強な男を意識不明になる(もしくは死ぬ)ほどの力で殴りつけてしまい、警察に押さえつけられる、その両者への客観的な評価であろう。

    本作は、二〇二〇年八月一八日現在における最新の芥川龍之介賞受賞作品(第一六三回/高山羽根子「首里の馬」と同時受賞)でもある。芥川龍之介賞の選評を掲載順にひもといてみると、まず、平野啓一郎の、〈新しい才能に目を瞠らされた〉(註1)という絶賛とも思える評言に出会でくわすことになる。つづく吉田修一は、本作を〈「若い依存症患者たちの物語」〉と評し(註2)、松浦寿輝は〈取り返しのつかないカタストロフというより、若さの無思慮ゆえのちょっとした失態といった程度にしか読めない〉と、あたかも「破局」という表題が〈取り返しのつかないカタストロフ〉を意味しているかのような視座に立ち批判しながらも、〈堂に入〉った〈乾いたハードボイルドな〉文体と陽介の〈保身性〉のあいだの〈ミスマッチ〉や〈黒いユーモア〉、〈的確で魅力的な細部〉などについても指摘している(註3)。小川洋子もまた、〈『破局』に二重丸をつけて臨んだ。(筆者略)正しさへの執着が主人公を破綻させる点において、特異だった。(筆者略)彼は嫌味な男だ。にもかかわらず、見捨てることができない。(筆者略)もしかしたら、恐ろしいほどに普遍的な小説なのかもしれない〉(註4)と好意的に評価し、島田雅彦は〈不安とセット〉になった〈不愉快な読後感〉のあるテクストであるとして、本作について言及している(註5)。山田詠美もまた、〈私にとって一番おもしろかったのが、これ。(筆者略)この作者は、きっと、手練に見えない手練になる。〉(註6)と絶賛、川上弘美は〈表現しようとしていることと、言葉の間に美しい相関関係があ〉ることを指摘し(註7)、奥泉光は〈「破局」の主人公は「欠落」を抱えた人間である。〉と断じながらも、〈かれの「欠落」とは、しかしいったい何なのかと、思考を誘う力が弱い〉(註8)と、さながらトートロジーに陥った作家のような言葉で本作を評価した。最後の堀江敏幸は、作品の細部の要素に具体的に言及し、語り手以外の目線からは「破局」はどういう物語として読めるか、ということを明らかにしてみせたうえで、〈トライを決めない無意識の節度と、見えない楕円球を手放したまま警官の頭越しに見える空の抜け具合に、敵と味方の言葉の呼吸がうまくかみ合っていた。〉(註9)と、極めて詩的かつ美しい表現で選評を結んでいる。

    また、同時代の(つまり本テクストに関していうならオンタイムの、ということであるが)書評・感想では、たとえば豊﨑由美が、陽介によって記述される〈〈私〉の内面の薄っぺらさや思考停止ぶり〉と、彼の客観的な評価(〈〈私〉はおもしろみには欠けるものの好青年であることには変わりはない〉)のずれという〈二重構造を生み出す語りのテクニック〉や〈ラストの”破局”にリアリティを与えるために、作者がいかに細部のエピソードに気を配っているか〉などの点に着目し、それらを美点ととらえ、〈『破局』が好き過ぎ〉るというきわめて好意的な評価を与えている(註10)。いっぽうで、清田隆之は、語り手の女性に向けるまなざしが〈女性蔑視的な感覚から生まれるものだ〉と指摘し、〈陽介はむしろ、いわゆる”マジョリティ男性”的な特徴を先鋭化させたようなキャラクターなどではないか〉と考察している(註11)

    「破局」について、ある程度分量のある作品論としては、川本直によるもの(註12)がまずある。同論は、登場人物たちの人物像、というよりも性格や気質を的確に描き出し、〈緊密に構築された細部が響き合いつつ収斂していく果てに、劇的な結末が訪れるように仕組まれている〉ことを具体的に指摘したうえで、ブレット・イーストン・エリス「アメリカン・サイコ」やカミュ「異邦人」、また、スウィフトやイーヴリン・ウォーの諸作との近似性を指摘するものだ。また、Kazuは、作中、唐突に祈りたくなった陽介の〈身振りは陽介の「元交際相手」である麻衣子の回想において、小学生だった彼女が一人で留守番をしている家に侵入し、彼女のベッドで仰向けに寝て「胸の上で両手の指をしっかりと組み合わせていた」男の姿として反復される〉点、および〈作中、陽介はチワワはカラスといった動物から道ですれ違った小さい女の子に至るまで、さまざまな他人に顔をじっと見られる。〉という点などに鋭く着目し、そこから、見られることに意識的な陽介像を炙り出し、男性と女性の非対称性にまで、きわめて的確な手つきで論を進めていく(註13)。また、しみは陽介の二股の因が〈向こうからの「押し」〉という共通項を持っていることを示し、〈じつは陽介は加害者などではなく、被害者なのではないか〉という視点を導入し、〈日々人間と戦いながら、ゾンビとして暮らしている〉陽介像を抽出した(註14)

    本論考では、これらの同時代の評言からの示唆を受けつつ、たとえばまなざし、たとえば飲料、たとえば父性と母性などをキイ・ワードもしくはキイ・アイテムとして「破局」を読み解いていくことを目的とする。

    なお、本文の引用については、『破局』(二〇二〇年七月、河出書房新社)を底本とした、二〇二〇年六月(奥付ママ)発行の河出書房新社刊のKindle電子書籍版に拠った。引用・参考文献を含め、ルビは適宜省略した。

    • (註1)平野啓一郎「他者との「ディスタンス」」(「文藝春秋」二〇二〇年九月号)
    • (註2)吉田修一「選評」(「文藝春秋」二〇二〇年九月号)。なお、この評言における「依存症」は、いささか軽率な用いられ方をされていると指摘せざるをえない。
    • (註3)松浦寿輝「奇抜なユーモアに満ちた思考実験」(「文藝春秋」二〇二〇年九月号)
    • (註4)小川洋子「普遍的な小説」(「文藝春秋」二〇二〇年九月号)
    • (註5)島田雅彦「全員孤独」(「文藝春秋」二〇二〇年九月号)
    • (註6)山田詠美「「選評」」(「文藝春秋」二〇二〇年九月号)
    • (註7)川上弘美「魔法」(「文藝春秋」二〇二〇年九月号)
    • (註8)奥泉光「いつもどおり」(「文藝春秋」二〇二〇年九月号)
    • (註9)堀江敏幸「空の抜け具合」(「文藝春秋」二〇二〇年九月号)
    • (註10)豊﨑由美「『破局』遠野遥は、文芸界のニュースターだ! 二重構造を生み出す語りを書評家・豊﨑由美が熱烈考察」(「QJWeb」、二〇二〇年八月六日、二〇二〇年八月一七日閲覧)
    • (註11)清田隆之「ハイスペ男子の奇妙な自分語りが、男性性のメカニズムを浮き彫りにする芥川賞受賞『破局』」(「QJWeb」、二〇二〇年八月七日、二〇二〇年八月一八日閲覧)
    • (註12)川本直「我々は空虚なゾンビであり、空虚なゾンビは我々である――遠野遥論」(「文學界」二〇二〇年九月号)
    • (註13)Kazu「性的ゾンビ 遠野遥『破局』について」(「いえばよかった日記」、二〇二〇年七月九日、二〇二〇年八月一八日閲覧)
    • (註14)しみ「ゾンビ、ごめん。」(「note」、二〇二〇年七月一三日、二〇二〇年八月一八日閲覧)