• 小説

    魔殴ちゃんと魅怒離ちゃん

    「むかしむかしあるところにまなちゃんとみどりちゃんというおんなのこがすんでおりました」

    ……よくある誤植、といえば、もちろんそれはそうである。「真奈」とか「麻魚」とかだったら、わたしとしても、スミマセンシンジツノシンニサカナデマナナノデナオシテイタダケマスカーで、一笑に付せることだ。けれども、みどりちゃんは、ささやきと言ってもいいほど神妙な声で、まるで蠟燭の火を吹き消すときのような声で、そっと物語を語りだす。物語。わたしはふと、読者をぺてんにかけたくないストーリーテラーなんてこの世にいるのだろうか、と、そんなことを考える。

    「ふたりはたいそうかわいらしいおんなのこだったので、それが、ふたりのおとうさんとおかあさんたちにとってはしんぱいのたねでした。というのも、ふたりのすんでいるむらのちかくには、それはそれはわるいまじょがすんでいて、いやらしいことに、よぞらのほしからめざしのうろこまで、ありとあらゆるきらきらかがやくものは、かのじょのほっするところ、ほしいままとするところだったからです。つまり、おとうさんとおかあさんたちは、まなちゃんとみどりちゃんが、そのきらめきゆえにまじょにかどわかされることをおそれたのでした」

    わたしはテーブルの端に置かれたスタバのタンブラーに手を伸ばす。タンブラーの中身は、季節もののフラペチーノ、などではなく、定番のソイラテだ。口をつける。特に予定がないけど、家にいるのもかったるいときみどりちゃんと出かけるスタバのソイラテの味がする。

    「そこで、ふたりのおとうさんとおかあさんたちは、むかしのひとのひそみにならい、ひどくしゅうあくなもじをかりて、ふたりのなまえをつけました。そう、まなちゃんのまにはあくまの魔、みどりちゃんのどにはいかりの怒というもじをつかって」

    なんというおどろき! みどりちゃんのいうことが、万が一にも嘘八百でないとするのなら、わたしのほんとうの名前は、柏木魔魚ということになる。もしもわたしが、みどりちゃんの話を真に受けたのだとしたら、ここで、ごくり、と唾をのんだことだろう。

    「……それで?」

    わたしはタンブラーをテーブルの上に置きながら続きを促す。

    「ふたりにつけられたきたないなまえは、ふたりをうまくまじょのめからかくしてくれました。けれども、ふたりがよんさいになってしばらくたったあるひ、とうとうまじょがふたりをみつけてしまったのです。――ふたりがひらがなをおぼえ、じぶんのなまえをひらがなでかいてしまったから。まじょはふたりをらちすると、ふたりをころし、なべでぐつぐつにて、しちゅうにしてたべてしまいました」

    思わずわたしは両手で口元を覆う。わたしのおおげさな動作に、テーブルのうえから、「柏木魔魚 様」(原文ママ)という宛名の書かれたダイレクトメールが、ひらりと零れ落ち、バレエを習いはじめたばかりの少女のように、ぱたんと床に倒れる。いったいだれが、それを見ただろう? わたしとみどりちゃんしかいないこの部屋で?

    「つきひはながれ、やがてまた、むすめがふたりうまれました。ふたりのおとうさんとおかあさんたちは、こんどこそかわいいむすめたちがかどわかされないように、よりいっそうふたりのなまえをしゅうあくにしました。まなちゃんには魔殴というもじを、みどりちゃんには魅怒離というもじをあてて。けれども、かんじがふたつかさなるとき、それはしばしばおもいもかけないいみをもったりもするのです……」

    今日はいいお天気だ。カーテンの隙間から差す日差しに、みどりちゃんの髪が、デンマークの河に浸かるよりもずっと前のオフィーリアのそれのようにきらきらと光る。わたしはそれに、目を、ではなく、心を奪われる。つまり、だらしない言い方をするのなら、ぼおっとする。ポテトチップスのかけらが降りそそぎそうなほどに退屈な午後、暇を持て余した人間どもの遊び。わたしたちの時間は、あふれるほどにいっぱいで、流れることもなく、終わらない。