• 小説

    白くてこげ茶のクリスマス

    「キャー! あれもかわいー!!」

    「えー、まだ買うの?」

    ……もしわたしたちのことを知っているひとがこのせりふだけを見た時に、きっと八割くらいの確率で、前者がみどりちゃんのもの、後者がわたしのもの、と思うのではないだろうか。けれども真相は、実はその逆である。

    「もー、真魚ちゃんってば、そろそろ帰らないとごちそうの準備ができないよ?」

    「待って待ってみどりちゃん、あー、あのくまもかわいー!」

    もちろん、くま、というのは、まったくユルくない北海道の夕張系くまのことではなく、われらがシュタイフ社のテディベアのことである。わたしは両手いっぱいに荷物をかかえながら、視界に赤い布を見つけた牛のように、ショーウィンドウへと牛突猛進してゆく。のろのろとわたしのあとをいてきたみどりちゃんは、おそらく値札をみたのだろう、目を丸くしたような声をあげた。

    「高っ! 予算オーバーにもほどがあるよ、真魚ちゃん!!」

    「わかってるわかってる、見るだけ、見るだけ!」

    ほんとうを言うのなら、見るだけではない。どれくらいお金持ちになればいったいこの子をお迎えできるのかしら、とか、げっ歯類みたいに前歯を下唇に押し当てながら、そういうことまでわたしは考えている。あるいは、そういうのは考えている、と言うよりも、夢想している、とか言うべきなのだろうか。

    こころのなかのお財布を開けたり、中身(非常にとぼしい)を確認してから閉じたりしながら、いい加減にわたしがあきらめて、ひとつため息をついてから振り返ると、みどりちゃんのうしろで、ちいさなつぶがきらきらと輝いている。わたしは目を細めた。クリスマスを前にした街というのは、目にやさしいきらきらがいっぱいで、なるほど、確かに産湯につかったばかりの赤ん坊のように、新しくこころが洗われるような、そんな気持ちになる。

    その張り紙に出会うまで、実はさらにわたしたちは短距離走のような(あるいは「雨ニモ負ケズ」のような)彷徨を重ねていた。まあ、わたしたちは、というよりは、わたしがふらふらいろいろなお店に立ち寄るのに、みどりちゃんがちゃんと付き合ってくれた、という恰好なんだけれども。思わず立ち止まったわたしは、みどりちゃんの手を摑むと、シュトーレンだ! と叫んだ。

    「みどりちゃん、このパン屋さん、シュトーレンが売ってるよ!」

    みどりちゃんは、不思議そうな顔をして首を傾げる。

    「首都連?」

    「えーっとね、これこれ」

    わたしはGoogleを開いて、そこからWikipediaへとタッチして、シュトーレンの画像を見せる。みどりちゃんのひとみが、星よりもまっしぐらに輝く。

    「なにこれ、おいしそう!」

    「その、おいしそうなのが、このお店で売ってるの!」

    「え、うそ、これってそこら辺のお店で買えるものなの!?」

    「……みどりちゃん、ここ一応青山だからね。お金さえあればきっと、たいがいのものは買えるよ」

    とはいえ、青山でダイソーを見たことは――あったかな。どうだったかな。

    わたしはふたたびこころのなかのお財布を開けてみる。シュトーレンのお値段は、二八〇〇円。コンマが入るのは、八のあとではなく二のあとだ。これは、授業二コマぶん(ここでいう授業というのは、大学の講義ではなく、塾講のバイトのほうだ)の対価におおよそ相当する。それって安い? もしかして、ちっとも安くない? そんなの、みどりちゃんの声を聞けば、一耳瞭然だわ。

    「すみません、このクリスマス限定のシュトーレンをひとつお願いします」

    「かしこまりました、ご自宅用ですか?」

    くるり、とわたしはみどりちゃんのほうを振り返る。うん、はじめて塩水に浮かんだちいさい子供みたいな、いいお顔をしている。わたしはたっぷりとした笑顔を浮かべ、店員さんのほうをふたたび振り向いて、堂々と宣言する。

    「ご自宅用で!」

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    特技は烏龍茶!

    「黒子のバスケ」の黄瀬涼太の特技は利きミネラルウォーター、江國香織の小説だかエッセイだかには、利きヨーグルトが得意な人物がでてきたように記憶している。それじゃあわたしは? というと、じつは利き烏龍茶が得意だったりする。

    烏龍茶といえばサントリー。ファンタグレープは大好きだけれども、真っ赤なラベルの烏龍茶は認めない。(ごめんなさい。)ましてや、スーパーで八十八円とかで売ってるお値打ちだけを取柄にした烏龍茶なんて、へそで茶を沸かす。(ギャグではない。)ひごろはどちらかといえばハト派を自称するわたし(えー、うっそだー、とみどりちゃんが半畳を入れてきた)だけれども、こと、烏龍茶にかけてはタカ派をつらぬいている。うん、正確に言えば、利き烏龍茶が得意というよりも、烏龍茶の好き嫌いが激しい、かな。

    ところで――

    ふいに時代は、わたしが、学部一年のころに溯る。

    「柏木さーん」

    はじめにお断りしておくのなら、これは、彼女の第一印象では断じてない。そのうえで言うなら、私は思った、なんだこの頭のかるそうな女、と。それは、彼女の服装(まあ、時代時代によって適宜名前を与えられる、ガーリーなスタイルだ)なんかよりも、甘ったるくてとりとめのない彼女の口調(マシュマロみたい、という形容なんてとんでもない。あんな弾力は目の前の女にはない。どちらかというのなら、綿菓子、の口にとどまらない感じ、に似ている)に拠るところがおおきい。頭のかるそうな女はおおげさに肩で息を切らせると、

    「せ……せ…………」

    背脂? 生理? セカイ系?

    「西洋美術史とってたよねぇ!?」

    思い出した。同じ学科の――

    「長谷川さん……ノートなら、悪いけど貸してあげられないよ」

    「え?」

    「全部暗記してるから」

    もともと美学をやりたかったから、学部の一般教養でやるくらいの知識はもうだいたい持ってるの、とつけくわえるのとつけくわえないの、どちらがいやらしいだろうか、わたしがううむとうなるよりも、

    「えぇ!!?」

    と、長谷川さんが感嘆の声をあげるのが早かった。

    「すごーい。じゃあ、ええっと……」

    かばんの中につっこまれた長谷川さんの爪は、セレストブルーのきらめきを放っていて、大学生になってからお化粧をおぼえたおぼこいわたしとは大違い。かわいくっていいな、と、さっきとは正反対のことを考えるけれども、そのとおり、わたしは女の子女の子した女の子に対して、とってもアンビバレントな感情を抱いているのだった。

    彼女は一冊のノートをつかみだし、

    「ええっと、ええっと……」

    そのなかに書かれている事柄から、お目当てを見つけ出したようだ。

    「『小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ』、時間経過とともに飛んでしまったのは何色だ!?」

    なんだ、ちゃんととってるんじゃん、ノート。ちょっと拍子抜けしながら、

    「みどり」

    答えると、長谷川さんは、ちょっとくすぐったそうな顔をして笑って、そうそう! と元気よくうなずく。そして、開いたノートで顔の下半分を隠すようにしながら言った。

    「ノートって言っても必要なのは全部じゃないの。あたし、莫迦だから、先週夏風邪にかかって、どうしても学校に出て来られなくって、一回だけ休んじゃったの。そのときの講義の内容だけ、教えてくれないかなあ!?」

    そういえば、テストは一か月後、まだまだ先だ。テスト直前になって慌てるような有象無象とは、どうやらこの子は少々性質を異にしているようである。そうして彼女は、夏風邪は、賢こではなく莫迦が引くものであることも知っている。なんだ、この子、案外悪くないかもしれない。

    と、まあ、そんなこんなで、わたしと長谷川さんは、なんとなくつるむようになった。つるむ、と言っても、おなじ一般教養(まったくの偶然であるが、わたしと彼女は五個、一般教養の授業がかぶっていた)の授業でとなりに座る、とか、それくらいだが。まるで毛玉がべつの毛玉を呼び寄せるように、長谷川さんみたいなガーリーな子は、おなじようにガーリーな子を引き寄せてつるんでいるものと思っていたが、どうやらそういうものでもないらしく、学科の必修で顔をあわせても、五回に一回くらいは彼女はひとりでいた。そのうちにわたしも気がついた。その「五回に一回」というのは、彼女の学科友達は、示し合わせて授業をサボタージュして、渋谷あたりで遊んでいるのだろう。けれども、彼女は決して不測の事態が起きない限り、授業をサボることはないようだった。

    ある日の授業中、講義をしている先生の目を盗むように、一枚の紙が回ってきた。「西洋美術史打ち上げのお知らせ」。そこには、八月の第一週の日付(何日だったかは忘れた)と、会費(男子三千円、女子二千円だったか)、会場(学校の近くのちょっと気取った居酒屋)、エトセトラ、が書かれていて、一枚目をめくったところに、参加希望者は自身の名前を記すことになっているようだった。

    「あー、飲み会なんてあるんだー。柏木さん、出る?」

    「んー、どうしようかなあ」

    「えー、出ようよう」

    わたしは名簿に書かれた名前の列を眉間に皺を寄せて(いや、なにか思うところがあったわけではなく、ただ単にそういうものをどうやってとりあつかっていいのかわからなかっただけです。)見つめながら、ふと尋ねた。

    「わたしがもし出なかったら、長谷川さん、出る?」

    「出ないよ」

    長谷川さんは、意外なことに、とっても真顔だった。そうして、両手を組み、お花模様の入った爪(聞くところによると、ネイルサロンに行っているわけではなく、彼女は自分で爪に細工をしているらしい。器用ちゃんか)を、右手で、左手で、交互にいじりながら、気持ちさみしそうに言った。

    「柏木さんがいないとつまらないもの」

    そうして、気がついたときにはわたしは、そのちょっと気取った居酒屋に腰をおろしていた。思わずあたりを見回す。ちょっと離れたところで長谷川さんが座っている。となりの席の男の子にちょっかいをかけられておおげさに身をよじっている! わたしと目が合うと、にっこり笑って手を振った。その笑顔にわたしは、ほっと息をつき、目の前に置かれたジョッキを見る。ウーロンハイではなくて烏龍茶。未成年だからね。口をつけようとすると、長谷川さんの声が耳に飛びこんできた。

    「あー、おいしい!」

    「もおお、みどりちゃーん、もっとお酒いっとこうよぉ!?」

    みどりって言うのか。拾った声をまた河原に投げ捨てて、喧騒のなかに戻ろうとしたわたしの耳に、ふと、以前に聞いた声がよみがえる。

    「『小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ』、飛んでしまったのは何色だ!?」

    ん? とわたしは思う。烏龍茶を一口すする。あ、サントリーだ、と思う。まさかね――いや、まさかってなによ。

    未成年だからお酒はだめだよぉ、と、長谷川さんは軽く男の子をいなすと、うれしそうな顔で、くい、とジョッキを傾けて言った。

    「でもここの居酒屋さんいいねぇ。あたし、烏龍茶はサントリー以外認めてないの」

    思わず、というよりも、ほとんど我を忘れたような体で、わたしは長谷川さんのほうを見る。居酒屋の安っぽい照明は、どうしたの? とやさしく問いかけるような彼女のひとみに反射した時、彼女の色をもつ宝石のように輝いて、わたしをそのうちにすっかりのみこんでしまった。


    うん、しまらない「柏木さーん」より、こっちのほうが、よっぽどわたしにとっての、みどりちゃんとの「出会い」。

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    ソフトクリーム・クリード

    めずらしく、みどりちゃんが怒っている。そうわたしは思い、つづけて思う。怒っているみどりちゃんを見るのは、めずらしい、と。いけない、これでは「つづけて」ではなく「かさねて」だ。そうしてわたしは、こんなことで自分が、意外と動揺しているのに気づく。

    上野で「バルテュス展」を観てから、みどりちゃんは不機嫌なのだ。と言っても、バルテュスがお気に召さなかった、というわけではない。ぷんぷん怒り心頭に発しているみどりちゃんに、ここでマイクを向けてみることにしよう。

    「まったく、バニラアイスとソフトクリームはベツモノだっつーの!」

    おわかりいただけただろうか。そうなのだ。美術展に行く途中で買ったソフトクリームが、バニラアイスクリームをねじの胴体部分の型にしただけのものにすぎなかったことに、みどりちゃんはたいそうご立腹なのである。ところで、バニラアイスクリームとソフトクリームの違いとは――

    基本的な原材料はアイスクリームとほぼ同一であるが、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、ソフトクリームの場合は調合した液体原料を、ソフトクリームフリーザーと呼ばれる専用の機械に直接投入し、機械の中で高速攪拌しながら冷凍させて原料の中に空気を注入させていき、一定の軟らかさが得られたところで原料を機械から取り出す」と傍点部を多少強調しながらWikipediaの説明を読んでみせたものの、「『ほぼ同一』ってことは『少しは違う』ってことだよね!? きっとそうだよね、真魚ちゃん!」と、鋭く切り返されてしまった。みどりちゃんはおっとりぼんやりしているようで、実はけっこう注意深くって目聡いほうなのだ。

    「でも、みどりちゃん、そもそも、バニラアイス嫌いだっけ?」

    「好きだよー。今日のアイスもバニラアイスと思えば、まあ、悪くなかったかしら、って思う」

    「じゃあそんなに怒ること、なくない?」

    「んー、でもさー……」

    みどりちゃんは、右足の指のあいだに右手の指を差し入れ、ぎゅっと足の甲を握り込むと、心もち顔をあげて言った。

    「ねえ、真魚ちゃん。たとえば、インドカレーのお店で、ビーフカレーがメニューにあったら、それはちょっと違うでしょ、ってならない? あなたのインドはどういう国ですか? っていう」

    「まあ、それは、なるかな」

    「みどりのなかでは、それとおんなじことなの」

    なるほど、みどりちゃんの言い分の理については判じかねたけれども、彼女がソフトクリームに対して、かみさまに対するのとおなじような気持ちをもっていること、だけはかろうじてわかった。それでも、釈然としないものがいまだにおおく浮かんでいるであろう顔で、わたしは軽く首をかしげると、

    「ミニストップでよかったら、ソフトクリーム買いにゆく?」

    「うんっ!」

    言下にうなずいたみどりちゃんのかかとが、小鹿の蹄のように跳ね上がった。