• 小説

    SU・SHI!

    仕送りもお給料日もまだまだ先のことなのにお財布がほとんどすっからかんなとき、みどりがよく考えるのはおすしのことだ。

    うまれてはじめておすしを見た日のことは、うまれてはじめてお化粧をしたときよりもよくおぼえてる。ぴんと張られたラップの下で、みどりがもってるどんなおもちゃの宝石より――ううん、こっそりつけたママの指輪よりも、ずっとずっと素敵な色たちがきらめいていた。深い森のなかで見るルビーみたいなマグロの赤、サンゴの卵みたいなイクラにエメラルドをいくつもの角度から見たようなキュウリが載っているのはとびっきりゴージャスな感じがした。図鑑で見るとちょっとコワイカオをしてるのに、「鮭」(こういう字であってたっけ?)が「サーモン」になると、なんだかママのセーターみたいにやさしい、ふんわりとしたインショウがした。まるでお月さまを四角く切り取ったような玉子に、あと、とってもかわいいエビのボーダー柄とちょこんとしたしっぽ! それから、それから……

    よく、冗談で、さいきんの子はおさかななんてみたことなくって、切り身や開きが海の中を泳いでいると思ってる、なんていうの、あるじゃない? みどりの場合はその逆で、水族館によく連れてってもらってたから、おさかながどういうものかは知ってたんだけど、まさかおさかなのおなかを開いたらこんなきれいな色をしているお肉が出てくるだなんて、思ってもみなかった。だから、すごくびっくりした。もし、おさかながどんなふうに水の中で泳いでるかを知らなかったら、みどり、こんなにびっくりしなかったんじゃないかなあ。

    おなかがすいてるときに考えるものって、ひとによってはおみそしるだったりおつけものみたいなふだんよく食べているものだったり、お肉がごろごろ入った洋食屋さんのビーフカレーや低温のラードでからりとあげたとんかつみたいにおなかにがつんとくるものだったり、それぞれだと思うけれども、みどりの場合はだんぜんに、見ていてきれいなものだ。ケーキのこと(関係ないけどみどりの実家(おうち)の近くのパティスリーのケーキより、「越前屋洋菓子店」(このアパートから歩いて五分)のケーキのほうが断然おいしい。ケーキってこんなにおいしいものなんだ! って、ここのケーキを食べて、みどり、はじめて思った)、とりわけ、冠をかぶった女の子みたいにイチゴを載せたショートケーキのこともわりとよく考えるけれども、それよりも、圧倒的に、おすしのこと考えるほうが多い。

    「みどりちゃんってそんなにおすしが好きだったんだ?」

    暑くてエアコンの下でババロアみたいに(っていうか最近ババロアってみない気がするねー)ぐでぐでしてるみどりのほっぺに、はい、とお小遣いで買ってきてくれたミニストップのハロハロを押し付けながら(真魚ちゃんのこういうとこ、みどり、大好き!)真魚ちゃんはにっこりした。それから、ちょっと上目づかいになって、じゃあさ、と、うきうきしたような声でつづける。

    「じゃあさじゃあさ、来月のみどりちゃんのお誕生日のごはんは、おすしにする?」

    目を輝かせる真魚ちゃんに、立て膝でハロハロにスプーン型ストローをつっこみながら、ううん、と、みどりはゆっくり首を振る。だって、真魚ちゃんにはわるいけど、みどりのお口は、生のおさかなが、大の苦手なんだもの。

  • 小説

    冷蔵庫の埋葬

    朝起きると、みどりちゃんが冷蔵庫にシールを貼っていた。すでに扉の一面が、色も模様もとりどりのシールで埋められている。どうしたの、と尋くと、セリアでいっぱい買ってきたのー、と答える。わたしが聞きたかったのは、シールの来歴じゃなくって、みどりちゃんの行為の意図なんだけど。

    そのまま観察していてもよかったし、彼女の横で、八枚切りの食パンをトースターに入れてつまみを回してもよかったのだが、いっしょに貼ってもいい? と尋ねると、いいよぉ、と快諾された。みどりちゃんのとなりにあぐらをかいて、人差し指が触れたシールを取り上げる。シールはばらの花のようなかたちに床にならべられていて、冷蔵庫一台分の表面積をおおって優にあまりあるほど(すごい…)をみどりちゃんは用意しているみたいだ。

    「ディープ・フリーズ」という漫画(ナカグロは入らなかったかもしれない)を昔読んだことがある。ある種の異能が登場する話で、「冷凍庫開けて」、というのが彼の魔法のことばだった。もちろん、異能って言っても万能ではない。彼の魔法がすぐに融けちゃうような女の子もいる。でも――彼が「冷凍庫を開け」ることのできないにんげんは、いない。まるで、かの、ような。そんなふうだったって、記憶している。そうだ、確か超人は、手白沢温和てしらさわゆたかという名前だった。手白沢がもし、冷凍庫を開けられないにんげんに、あるいは、冷凍庫なんて存在しないにんげんに出くわしたら、いったいどうするのだろうか。そんなことを考えながら、冷凍庫の扉の、なんていうんだろ、扉と冷凍庫の壁面が密着するところ? パッキン?(最近すっかり締めが甘くなっちゃって、上の扉を閉めると、反動で、下の扉が開くようになっていた)にシールを貼って、冷蔵庫の中身(空だけど)に兵糧攻めをしかけるようなみどりちゃんを見る。

    まあでも、わたしたちに、というか、この冷蔵庫に限って言えば、冷凍庫、開かなくてもべつに困らないんだけれど。だって、この冷蔵庫はこわれていて、わたしたちはきょうあたらしい冷蔵庫をおむかえするのだから。この冷蔵庫は今日荼毘に附される(と言ったけれども、わたしのなかではむしろ、火葬と言うよりは水葬のイメージ。深い藍色の底に、ぶくぶくと冷蔵庫が沈められていく)。だから、なにをしたって平気だ。というのはイコール、なにをしたってむだだ、ということになる。

    かりかりと、爪の先でシールをたまねぎの皮みたいに剝きながら、「あたらしいほうに貼ればいいのに」、言ってみる。みどりちゃんは、ハチクロのはぐちゃんみたいにきょとんとした顔をすると、

    「んーとね、これ、お花の代わり」

    「お花?」

    「そっ!」

    キツネみたいに怪訝な顔をしているわたしに、みどりちゃんはにこっと相好を崩した。

    「お葬式では、死んだひとのまわりをいっぱいの花で埋めるでしょ? でも、死んじゃった冷蔵庫を棺桶に入れるなんて、ちょっとゲンジツテキじゃないし、お花って高いからさー。で、みどり考えたの。かわりにどうすればいいか。だから、これ!」

    そう言って、シールの台紙のうしろで白い歯を見せてみせる。みどりちゃんの口から、現実的、なんてことばが出て来たのに、わたしは思わず笑った。でも、顔はいかにもおかしいっていうふうにゆがむのに、頭のなかは、なんだか石焼いもみたいにほくほくした気持ちでいっぱいになる。

    「よーし、いっぱい貼ろ! どんどん貼ろ!」

    そうして、わたしたちは、王様のお洋服を選ぶ侍女になったみたいに、きらきら光るシールを手にとっては、あれよこれよと冷蔵庫に貼りつけてゆく。